【岡山・高松飽食旅その⑤烏城(うじょう)見学】
2012年 05月 23日
たまたまやってきたたま電車に乗って、岡山駅前から出発。
城下(しろした)という電停で下りて岡山城を目指しました。
黒い色から別名烏城(うじょう)という名がついています。
金の鯱鉾もキラキラしているので、金烏城とも呼ぶそうです。
旭川沿い、奥の方にちらりと姿が見えます。
左手は天下の名勝後楽園です。
後楽園というと野球の連想ですが、岡山の公園も同じく後楽園です。
敬愛する内田百鬼園先生が大好きだった烏城にこれから登城します。
もっとも先生が愛したお城は戦災で焼かれ、今あるのは昭和41年に復元されたお城です。
HPです: 岡山城
ウィキペディアです: 岡山城
岡山城というのは池田さんのお城だとばかり思っていましたが、作ったのは戦国時代の宇喜多秀家だそうです。再建されたお城も最初に宇喜多秀家が建てた当時を再現しているとか。
金鯱もその頃ピカピカしていただろうということだそうです。
ウィキペディアです: 宇喜多秀家
烏城の全体が見えてきました。
お城の辺りは緑色が少し深まった木々の葉で美しく囲まれています。
少し寄ってみました。
さて、これも復元された廊下門をくぐって、お城へと向かいます。
お城の雰囲気が出て来ました。
檻wの中に石垣が保存されていました。
昔の雰囲気です。
次はあかずの門です。
天守閣を再建する時にこちらへ移動した礎石です。
じゃん!!
やっと正面に来ました。
後楽園との共通券を買って城内へ入りました。
昭和41年のお城なので、中にはエレベーターがあります。
随分と楽ちんな登城ではあります。
エレベーターで上まで行き、見学しながら下へと下ります。
金鯱さんが目の前に!!
背景のお庭は後楽園です。
お殿様のお庭です。
横向きの金鯱さん♪
鬱蒼とした緑の木々に囲まれた後楽園が少し見えます。
川のボート屋さんのスワンボートが動いていました。
もう少し後楽園に近づいてみました。
お城の中の鎧や兜などの展示品は撮影禁止です。この籠コーナーだけおkでした。
宇喜多秀家の生涯の展示など、ビデオもありました。
正妻の豪姫って前田利家の娘なのですね。
キリシタンだったので、ひと悶着あったそうです。
関ヶ原で西軍だったために、八丈島に流されたそうですが、
八丈島で長生きをして、子孫も生き残ったとか。
やはり南国の島は健康には良かったのかもしれませんね。
この後お城の茶店で一休みしました。
岡山というと内田百閒の生地という認識の私ですが、生家が没落してから百閒先生ご自身は故郷へは戻られなかったそうです。
東京の番町に戦前から長い間住まわれたのですが、その場所が夫の小学校のすぐ裏手。
小学校の140年史というのが、家にあり、最後の頁の近所の地図を見たら、百閒先生のおうちが3軒出ていました。
戦災で焼け出された最初の家、次に3年済んだ掘立小屋、その後ちゃんと建てた家。
2番目の掘立小屋。
ご本人が掘立小屋と書いているのですから、構わないのかもしれませんが、
他人が「掘立小屋」と地図に書くのは何だかな~・・・
見ていないからそう思うのかもしれませんが、
他人に掘立小屋と言われるのは嬉しくないだろうな~
と、
おもひました^^;
どうでもいいけれどwww
数えたのですが19枚目の後楽園の画像にホテルが写っていますが(たぶん 今もホテルだと思いますが・・)その真ん前に官舎がありました。
夢二郷土美術館もその並びに(ホテル側)有ります。
5年住みました。後楽園には母が来ると毎日散歩で外周りを一回りしておりました。懐かしい所です。 嬉しいです。
烏城も懐かしい♪
日本のお城を見学してみたいものです。
岡山のもみじ饅頭もたべてみたいなぁ。
日本の地方に行くと、
名産がきちんとそろえてあるのでうらやましい!
こんばんは^^
そうでしたか~♪
知らずしてお馴染みの建物を写していたのですね。
私♪♪
たまちゃん電車がやって来たり、yasukonさんのお住まいの
お近くを写したり、勘が良かった!!ナンチャッテ^^
地図を見ると本当に夢二美術館は後楽園の出口の
すぐそばなのですね。反対側だったから、前を通ることもせず
残念でした。
お母さまとの散歩の思い出もおありになって、
懐かしい烏城近辺ですね~
私は見る物すべて初めてで、とても楽しかったです。
真っ黒のお城に金の鯱!
ブラック&ゴールドでお洒落なお城です^^
岡山の名物は桃太郎さんに出てくる吉備団子ですよ~~
もみじ饅頭は広島ですから^^;
隣の後楽園で後楽園でだけ販売しているという
吉備団子を下げて帰りました。
家来がついて来ないかな~と思いながら^^;;