【晩秋の皇居東御苑】本丸界隈(天守台・富士見多聞・松の大廊下跡・富士見櫓)
2016年 11月 27日
江戸城の天守閣があった場所だそうです。
明暦の大火で焼失したままで残っているのは、天守台だけ。
昨今天守閣復元が話題になっている折から、江戸城も天守閣を建てれば、観光客がもっと集まりそうです。警備が大変になるから却下かしらん、、、
坂の上が大変広くてびっくりしました。
地図を見ればわかりそうなものですが、実際に見ると本当に広いのです。
芝生がwww
最初の現れたのが宮内庁の楽部でした
そして桃華楽堂
香淳皇后のお誕生日の3月にちなみ桃が頭についています。
雅な建物のミュージックホールですね。
桃華楽堂は、昭和41年2月に完成し収容人員は200名の音楽堂で、音楽好きの香淳皇后(こうじゅんこうごう)さまの還暦記念として建設されました。
鉄仙の花弁を形どつた屋根と八面体の珍らしい建物で、ホール外壁のモザイク・タイルの図柄は、各面とも大きく羽ばたく鳥を抽象的に描いたものに、日月星・衣食住・風水火・春夏秋冬・鶴亀・雪月花・楽の音・松竹梅と八面の正面から左へ順に陶片であしらっています。
「桃華」の由来は、香淳皇后さまの御誕生日が三月なので桃の節句にちなんで桃とし、華の字形は十が六個と一で構成されていることから還暦(数え年61歳)を意味するということで命名されました。
全体として日本女性の優雅でおおらかな理想像をえがき出したものと言われています。陶片には,有田焼,信楽焼などが用いられており,玄関正面の屋根の上には鬼瓦の代わりとして金色の雛人形が飾られています。
(宮内庁サイトより)
折角ここまで来ましたので、天守台にも上がりました。
さほど広い敷地ではありません。
こじんまりとした天守閣だったのかしらん?
目の下に屋根が見えました。。。
大東京の中心にある江戸時代の名残です。
天守台から降りました。
見えている芝生は大奥や中奥や表があった場所にあたります。
一番手前が大奥だそうですよ。
へぇ~~~・・・
江戸時代に思いを馳せて、、
周りを見学しながら、大手門へと戻ります
突然立派な竹林が現れました。
金色の孟宗竹です。
様々な種類の竹が植えてありました。
春先にはにょこにょことタケノコが生えるのかしら??
たまに色付いたモミジが現れて、目の保養となりました。
陽が差すと綺麗です。
石室がありました。
富士見多聞を目指しているので、歩いているのはへりっこです。
真ん中はず~~~~っと芝生なの。
大きな芝生公園といった具合ですw
少し急な坂なので、車椅子は無理だそうです。
芝生の向こう側はビルディング
初公開「富士見多聞」の入口です。
多聞というのは、ちょっと頑丈な長屋のようなものらしいです。
中はこんな感じです。撮影自由です。
窓には細かい柵が入っていて外を見るのに邪魔でした。
隙間から見えた外の眺めです。
綺麗に色付いたイチョウが印象的でした。
前の道が春秋に公開される 乾通りだそうですよ。
今年も12月に公開されるのかしら?
枯草ぼうぼうが蓮池濠だそうです。
説明写真がありました
外側はこんな風な漆喰壁でした。
はい、元の芝生脇におりました。
初公開!!
芝生は何の跡かと思ったら
だそうです。
この時は富士見櫓も見学できるのかと勘違いしていたので、櫓を目指しました。
下草のツワブキが一斉に同じ方向を向いて咲いているのが印象的でした。
富士見櫓へ行く手前に松の廊下跡がありました。
例の忠臣蔵の刃傷騒動の、あの松の廊下です。
こんなへりにあったのね。。。
記念?に松の木が植えてありました。
さて見学は出来ない富士見櫓です。
江戸城に残っている櫓の中では一番大きくて立派だそうです。
天守閣が燃えてしまったので、天守閣の代わりもしていたとか。
富士見と名前がついていますが、ここから富士山を眺めたようです。
ちょうど太陽の光が差していて、逆光で写しにくいのですが、皆さんカメラマン!
もう随分戻ってきました。
柑橘園がありました。みかんの黄色が冬っぽい
緩い坂をおります
手前の黄色い葉はマンサクです。すでに蕾が沢山ついていました。
大番所です。
松の木が見事でした。
最初に見た百人番所に戻りました。
石垣
カリンの実が成っていました。
大きなカリンの木です。
綺麗な紅葉
三の丸尚蔵館脇の十月桜です。沢山咲いていました。
プラスチックカードを返して、大手門から外に出ました。