【1974年のエールフランスの機内食メニュー】
2017年 01月 28日
今では機内食がもっともまずいと言われるエールフランスだそうですが、私が初めて乗ったころは立派なメニューがついていました。もちろんエコノミーです。当時はビジネスクラスなんてなくて、エコノミーかファーストでした。
子どもが描いた絵の表紙のついた、実に立派なメニューです。
この後乗ったJALなんてもっと簡単な印刷でしたから、エールフランスは機内食に力を入れていたのかもしれません。錯覚かもしれませんが
下に貼ってあるのは、搭乗券です。
昔はこんなものを見ながら座席を探したのでありました。
今は昔の昭和の話です。
勿論直行便なんてありませんよ。
モスクワ経由かアンカレッジ経由でした。
それでも南回りに比べれば早く着きます。
(南回りなんてあったのよ。21世紀になり、アラブのゴージャス路線なんぞが出てきましたが、当時の南回りはひたすら時間ばかりかかって疲れる経由でした。)
夜の出発なので、最初に出たのは、お夜食でしたw
活字がレトロですね~
というか、活字印刷 (@_@。
凸凹していますw
紅鱒冷製
仔牛肉クリームソース煮昔風(もうね、フリカッセの方がわかりやすい)
クレオールライス
季節のサラダ
チーズ(これぞおフランス)
フルーツサラダ
コロンビアコーヒー
日本茶
内容もレトロな洋食です。
明治時代の洋食とさほど変わらないような献立(コラ!)
メニューには書いてありませんが、パンとヴィッテルがついていたと思います。
エヴィアンは当時でも有名でしたが、ヴィッテルは知らなくて、どんな味の水かと思って飲むと、不味かったです。日本人にはボルヴィック以外は不味く感じるのでしょうね。
食後のコロンピアコーヒーというのが酸っぱくて苦手だったのだけ覚えています。
コロンビアってさほど酸っぱい方ではありませんよね?
どうしてあんなに酸味が効いていたのだろう?
ひと眠りをして、朝ごはん
もちろん、何が出たのか記憶の端にもありませんが、フランスの朝ごはんって、カフェオレとクロワッサンだけの時代ですし、活字に出来るようなたいしたものは出なかったのでしょう。
お昼ご飯はちゃんと書いてありますね。
巻きハム
鮭白ぶどう酒蒸し煮
セロリークリームソース(グラタンって書いてありますが、)
季節のサラダ
チーズ(これがカマンベールでして、お初のカマンベールで、白カビが気持ち悪くて気持ち悪くて背筋がぞぞぞっとしたのを、忘れられません。帰国便はチーズへっちゃらけになりましたがw)
洋梨ベルヘレン
コロンビヤコーヒー(ヤ だった、、)
日本茶
最初のご飯は羽田製(まだ成田以前)次からはアンカレッジ製かと思います。
ブレゼの鮭は、アラスカの鮭かしらん?
次のページに何故か、ディジョンーアヴィニョンーマルセイーユという時刻表が張り付けてありました。今は存じませんが、そのころは駅に行先別の簡単な時刻業が置いてあり、勝手にもらうことができました。ただ、簡易時刻表なので、書いてないからといって途中の駅に停まらないということはなくて、どこから来る列車かもわかりませんし、交通公社の時刻表を思うと不完全でしたね。ただだからしょうがないw
まだTEEの時代ですし、英仏トンネルも出来ていませんから、ユーロスターもTGVもありません。
駅はパリのリヨン駅です。南仏方面の列車が出ました。
パリの駅名はご存知のように、行先が駅名になっています。
ロンドン行のユーロスターが出るのは、北駅です。北に行くからね~~♪
私たちのグループが乗ったのは、おっそろしく古そうな、戦前の車両じゃないか?というような列車でした。しょっちゅう停まったし、各停かせいぜい急行といったところです。ちょうど7月14日の革命記念日だったかな。日本と違いプラットホームが低い(低かった?)ので、大荷物をかかえて乗り込むのは大変でした。どっこしょ。確かこの列車は一番前に荷物者が着いていて、そこにスーツケースをのせてもらったような記憶があります。車内に大荷物があると邪魔ですものね(今の日本の新幹線を思ってください、、、)
パリ(リヨン駅)-ディジョン の時刻表です。
リヨネとかミストラルという名前のTEE(Trans-Europe Express)がありますが、普通の特急だの急行よりもディジョンまで30分位早いだけのようです。
グループの人がミストラルの写真を撮りに行ったら、運転手さんに送ってくれと頼まれたそうです。
写真が貴重wな昭和の時代www
で、えんやこらさっさと長時間乗って着いたのが、ブルゴーニュの州都ディジョンです。
ぶどう畑と可愛い子供の絵葉書です。
これも絵葉書です。写真は色が退色してだめですが、絵葉書を買っておいて良かったです。
いつまでも綺麗。
写っている立派な建物はブルゴーニュ公国のパレスです。
パレ ドゥ デュック というのかな?
日本航空欧州線の機内食メニューポン日付は書かれていないポンが、一緒にあった免税品のプライスリストには、「昭和49年4月1日より当価格表の通り販売しておりますので...」と書かれていたポンで、1974年頃のものと思われるポンこちらが、メニューが書かれている面ポンそれぞれをアップでみるポンワインリストポンこの当時、アルコール類は有料だったポンで、ビールが80円だったポンWines訳が「葡萄酒」というところに注目ポンパリからアムステルダムで、まずはコールドミールが出ていたみたいポンその後、経由地のアンカレ...... more
狸田が最初に飛行機に乗ったのは、それよりも10年後のことポン
北極航路と呼ばれる時代には、狸田、欧州に行ったことないポンが、ポン母の父親がエールフランスから北極通過証明書なんていうものをもらっていたポン(笑)
1965年のことポン~~(爆)
有難うございます(^^♪
JALメニューものせました!!
所長さんは、私よりも10歳お若いのかしらん???w
>北極通過証明書 ←これが正しい名称ですよね。サーティフィケイトですから
証明書ですね。JALは記念証となっていて、記念が余分??
でも、1965年って凄いですね。一般の旅行が解禁になった頃ではありませんか?
ジャルパックが始まった頃??
書いたのかと思いましたワ。^^
機内食の写真がないのが残念です。
由緒正しきフランス料理で、レストランで食べることできなそう。
頂いたヨーロッパ周遊はアンカレッジ経由でした。
運よくオーロラを見ることができました。
>表紙 可愛い絵ですよね~帰りのメニューも子どもの絵でしたわ。
私は絵は下手ですので、こんなかわいいのは描けませんです。
>写真 機内食の写真を撮ろうと思い出したのは、もっとずっと後でして
思いもよらなかったのです。撮っておけばよい記念になったのに、残念でした。
>オーロラ まあ~~~ラッキーでしたね!!私も見てみたいです(^^♪
JLが紙切れ1枚のメニューなのに対して、AFは立派ポン~
狸田もようやく1974年のメニューをアップしたポンでTBさせてもらったポン
TB有難うございます。私も試してみます (^^♪
>日本語 慣れない洋食の献立を無理矢理日本語にした
感じがありありですものね。。遠い昔になりました。
JLはもうこの頃から1枚メニューだったのですね。
2年後にJLに乗りましたが、同じような感じでした。
モスクワ経由だったのでキャビアが出て嬉しかったのを
思い出します(でも、残す人が多かったですが)