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【昭和の京都のある1日】



こちら昭和の京都だそうです。1961年ということは昭和36年?
市電がまだ活躍していた頃。

勿論地下鉄もなくて、阪急も大宮まだだった頃ですね。
小さな北野線もまだ走っていたのかしら?






お父さんの中村敏弘さんは京都近くの大きな機械メーカーの調査部の部長さん。

息子の清君は近くの公立小学校の6年生です。図工の時間は清水寺で写生をしています。


高校を卒業したばかりの喜美子さんはお母さんと一緒に大丸でお買い物。
あの頃って、ジャケット1枚でも、ちゃんと箱に入れて包装してくれたのですね。
お客さんが皆箱をぶら下げているのが、新鮮でしたw
考えてみたら、まだ紙袋がなかった時代かもしれません。。。

でも、13000円のジャケットって、高くないですか?
thirteen thousand en って言ってますよね?
three thousand の間違いじゃないのかしら??
(でも、見直すとお札を2枚店員さんに渡すので、やはり13000円のようです。
この頃の初任給って数千円じゃなかったのかしら?う~~む、、高価なジャケット)

1000円札が聖徳太子の頃ですね。一万円札があったのかと訝しく思ったら、1958年に発行だそうなので、あることはあったのでしょう。でもめったにお目にかからなかったのでは?と思います。

その後は又市電に乗って、京大に願書をもらいに行きました。
医学部を目指す優秀なお嬢さんだそうです。

1961年で17歳ですと、今は72歳位ですか?
お医者さんになれたのかな~?

ここのおうちは電気釜から直によそっていてほっとしました(笑)
台所の黄緑色のぽつぽつ穴のあいたボードが、超懐かしくて笑ってしまった。
アレが流行ったのよね。うちにも同じのがあり、お玉やなんやからとぶら下がっていましたわ。

お母さんはえらくて、魚のうろこを引いていましたね。友達によると、京都では魚の調理は魚屋さんが全部してくれるから、家で魚を焼いたり(煙いし)することはないのよ。と言ってましたから、偉いお母さんなの (^^♪

戦後時代は変わり、女性も大学に進学するようになったけれど、お台所仕事を手伝う伝統(?)は相変わらずで、喜美子はお母さんのお手伝いをして、将来の主婦業に備え、清はごろごろして将来の夫業に備えていますって、あはは(^◇^)

テレビも懐かしい形です。
家で最初に買ったテレビもあんな形だったかな。
チャンネルは回すタイプなので、すぐに壊れてきて、紙をはさんだりしてだましだまし使ったような記憶があります。

あ~~~

懐かしい (^◇^)
Commented by queentomo at 2017-02-23 22:03
昔の大丸って‼️覚えてません、全然。←よく行ってたのに。
上七軒の魚屋さんは見覚えがありました、買い物したことはないのに!
記憶って不思議です。
Commented by genova1991 at 2017-02-24 14:59
☆queentomoさま
>昔の大丸 私もこの頃の大丸や高島屋には行ったことがあるとは
思いますが、中の様子や店員さんの制服の記憶などは皆無で、
へぇ~~~
こういう制服だったのかとびっくりしました。
>上七軒 ひゃ!!今でもあるのでしょうか?魚屋さん!!
さすが京都、物持ちがいい、、(^◇^)
お店の外観だけが記憶に残ることもあるのですね。
不思議です~~(^^♪
Commented by petapeta_adeliae at 2017-02-28 22:33
帰宅してからブログを開く時間がなくて、仕事前とお昼休みに
見ていましたが、なぜか金曜日から今日まで電話と来客で何度も
中途半端で不機嫌になっていました。
やっと全部見られてホッ。
赤いジャケット、合皮なのに13,000ってボッタクリとしか思えません。
小学校4年まで両親とダブルベッドで川の字で寝てました。^^
Commented by genova1991 at 2017-03-01 09:36
☆ソーニャさま
お忙しいのに、拙ブログをご覧いただき恐縮です。
昔の日本の動画が面白くてマイブームです。
>赤いジャケット 昭和36年ですと、合皮じゃなくて
本革かもしれませんよ。
高すぎますよね。よくお母さんが買ってくれたものだと
びっくりしました。
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by genova1991 | 2017-02-23 18:40 | TV・DVD・ビデオなど | Trackback | Comments(4)

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