【上越・高田をうろうろ】④ 高田城を彷徨
2017年 09月 17日
(1993年に復原されたそうです)
ウィキペディアです: 高田城
そもそも私が高田に関心を抱いたのは、随分前に読んだ榊原喜佐子さんの著書
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が遠因です。榊原さんは、十五代将軍徳川慶喜の孫娘にあたり、越後高田の旧領主榊原家に嫁がれたのでした。著書には高田のことも出てきますので、高田というのはどういう街なのだろうか?と興味をひかれたからです。その割には、新潟県のどこに位置するのか判明したのが、つい最近というのは情けない(笑)
読んだ頃はまだ榊原さんも姉上の高松宮妃殿下もお元気でしたが、榊原さんは最近(2~3年前?)にお亡くなりになり、残念なことです。
桜の季節ですと、どんなにか美しく情緒があることでしょう。
今見られるのは、枯れ紫陽花というのか、秋紫陽花というのか、
渋い紫陽花くらいです。
初代は家康の六男の問題児松平忠輝だったそうです。
正室が伊達政宗の娘五郎八姫なのですね。
仙台の青葉城跡に行った折に、政宗が嫁ぐ前のいろは姫に城下を見せて名残を惜しむ話を聞きました。
築城も 舅に当たる伊達政宗が差配したそうで、
へぇ〜〜〜
6月は政宗誕生の地米沢に行き、8月は青葉城で仙台の街を眺め、
9月は政宗が築城に関わった高田城を見上げるという
今年で生誕450年になる、伊達政宗尽くしでした。
まあね、単なる偶然なのですが( ^∀^)
その後城主が色々と変わり、最終的には徳川四天王の榊原の領地となり、明治維新まで続きます。
地震や火災でお城も被害が多かったそうです。
江戸末期のごたごたの頃も大変だったのね。
そもそも徳川の譜代大名だから、薩長からすると、怪しい。
不審藩なんて烙印も押されて右往左往だったのでしょう。
お昼も食べ損ない、いまいちパワーに欠けるので、櫓の中には入りませんでした。
外から記念写真を撮れたので、満足です。
本丸跡に来ました。
江戸時代のお城ですから、天守閣はなかったのね。
説明版を読んで回るだけの高田城跡でした(笑)
近くで見えるように、もってきた蓮の花です。橋のたもとにありました。
お堀を渡り、高田公園に戻ります。
次は「赤いろうそくと人魚」で有名な小川未明の記念館(高田図書館)に行きました。
お堀も全部ではないにしても、残っていて
有り難いですね、バグースです。
>全部ではないにしても 陸軍が随分壊してしまったので
残念ですね。もそっと考えて師団を作ってくれればよかったのにと
思います。