【「中原中也ー詩に生きて」@鎌倉文学館】
2007年 10月 18日
30歳で鎌倉で結核性脳膜炎で亡くなったのだそうです。
葬儀は寿福寺で執り行われたとか。
何も知らなかったのでびっくりしました。
そうなんだ~へぇ~寿福寺なんだ~へぇ~
という感想でした。
寿福寺は鎌倉駅ほど近くにある五山第三位の名刹です。
そうそう、今年は中也生誕100年の年だそうで、故郷の山口県湯田温泉にある中原中也記念館の協力も色々あってこの企画展が出来たようです。
「鎌倉文学館」HP
「過去の訪問記録です」
「寿福寺辺り」2006年秋
山口県の軍医の家に生まれ幼い時から頭が良くて神童と騒がれたそうです。文学に興味を持ち過ぎて中学を落第し、京都の立命館に転入。故郷を離れて京都暮らしになったのですが、ひとりになって何をするのかと思いきや、同棲^^
早熟の天才なんですね^^
小林秀雄や青山二郎という白洲正子さんのお仲間の名前が出てきてびっくりしました。
パンフの協力者にも白洲姓の方の名前があるので、長生きをすれば正子さんとの出会いもあったのだろうなと想像したりしました。
最初の同棲相手は小林秀雄の元に去り、故郷の遠縁の女性と結婚して2児に恵まれますが、2人とも幼いうちに小児結核で亡くなります。あの時代の結核は本当に怖かったのだとつくづく思いました。中也のようなタイプがかかりやすい病気なのでしょうね。
詩はあまりにも有名なので私のような雑なおばさんは触れないことにします。
様々な展示品の中には衣類もありました。
中原中也といえば思い出す帽子の写真がありますよね?
あの帽子、お釜帽子と言う名前だそうです。
言われてみるとご飯を炊くお釜をひっくり返したような形です。
しかし、何と言う見たままのネーミングなのかと、ずっこけそうになりました。
小学生の頃に得意だったのは美術と習字だそうです。
3年生の時の習字がありました。
実にしっかりとした筆跡で、とても小学生のものとは思えないほどです。
その後実家のお墓の墓碑を書くことになり、自分が書いたそのお墓に眠っているそうです。
短く太く生きるのは息が切れて辛そうなので私向きではありません。
細くのんびりと中味は空っぽですが、何となくそんな風に生きて行きたいなと思いました。
思ったことは色々ありますが、印象に残ったこと少しとりとめもなく、、
やっぱりバラ、咲いていますね。
あ~ん 行きたかったですぅ。
バラが素敵です~。
いつ鎌倉に行かれるのかしら。
月曜が、大腸検査ですし、そのあとは仕事だし。
稲村ケ崎から歩いて鎌倉文学館まで行くのは
ちょっとくたびれますね~。あまりおススメできかねる
ルートではあります(笑
秋ばらなので、ぽつぽつと咲いていました。
春のようにどっさり豪華~ではありませんが、
それなりに^^ 11月過ぎまで咲いているので
慌てなくても大丈夫ですわよ~!
私もデジカメが戻ったらまた行きたいなと思いました。
お子さんまで 結核で亡くなるなんて・・・・・・
結核の恐さを今、あらためて知りました。
生誕100年ですか。。。生誕100年は服部良一もそうですから
今100歳の人は 優秀な方が多いのでしょうか??
文学館のバラが 綺麗ですね。 ピンクの縁どりのバラが
華やかで ひときわ輝いていますね。
鎌倉は本当に いっぱい行きたい所があります~♪
もう読むのが追いつかなくて大変です。(笑)
中原中也に全然関係ないコメントですみません。
服部良一と同い年になるのですか?
うううう・・・
何と言いましょうか、過去と現在が結びついて
不思議な感覚ですよね?
中原中也と服部良一か~・・・・
やはり、長生きした方が良さそうですね^^:
文学館のバラが綺麗に咲いていました。
ケータイしかないので、とても残念です。
季節の良い時の鎌倉は楽しいですね^^
先週の記事を早く整理しなくてはと焦ったら
順番がめちゃくちゃになって終始がつかなくなりました。
後で時系列に並べますね^^;;;;