【春の広島阿呆旅・最終回「縮景園」の梅林】
2012年 03月 30日

長い時間がかかった広島レポもようやく最後です。
アンデルセンで休憩をしたら、すっかり元気になり、最後の訪問地「縮景園」へ行くことができました。
広電で八丁堀に出て、白島線に乗り換えます。
途中に「女学院前」という電停があり、すぐそばに広島女学院が見えました。
確か私の祖母が出た学校だと聞いたことがありますが、誰に聞いたのか定かではなくて、本当なのかな~・・・古い学校のようなので、祖母が女学生の頃にはなかった!!ということは、なさそうですww
縮景園は、広島藩主浅野長晟(ながあきら)が、元和(げんな)6年(1620)から別邸の庭園として築成されたもので、作庭者は茶人として知られる家老の上田宗箇である。
園の名称は、幾多の景勝を聚め縮めて表現したことによるが、中国杭州の西湖を模して縮景したとも伝えられている。 園の中央に濯纓池(たくえいち)を掘って大小10余の島を浮かべ、周囲に山を築き、渓谷、橋、茶室、四阿(あずまや)などが巧妙に配置され、それをつなぐ園路によって回遊できるようになっている。
この種の庭園は、回遊式庭園と称され、室町時代にその萌芽(ほうが)がみられ、江戸時代初期に最盛期を迎えた形式で諸大名の大庭園の多くはこれに属する。
池の中央にかけられた跨虹橋(ここうきょう)は、七代藩主重晟(しげあきら)が京都の名工に二度も築きなおさせたものといわれ、東京小石川後楽園の円月橋や京都修学院離宮の 千歳橋にも似た大胆奇抜な手法が駆使されている。
清風館は庭園のほぼ中央にあり、庭園にふさわしい数寄屋造りで、屋根はこけら葺きである。西側は優雅な書院造りの様式をそなえており、東側には花頭窓を設け跨虹橋を臨んでいる。
昭和15年(1940)浅野家から広島県に寄付され、同年7月12日国の名勝に指定された。 昭和20年(1945)原爆によって壊滅状態になったが、県教育委員会は、戦災前の景観に復すべく整備をすすめ、清風館、明月亭などの亭館も復元した。
(HPより)
HP: 名勝 縮景園

こちらの庭園も爆心地に近いので、原爆で燃えてしまったそうですが、皆さんの力でここまで復元できたそうです。何百年も前からここにあったかのように、しっとりと馴染んで心安らぐお庭でした。

早咲きの桜が1輪2輪咲き始めていました。
うしろにぼんやりと跨虹橋(ここうきょう)が見えるので、お気に入りの1枚です。
広島藩は関ヶ原以前は毛利家が治めていましたが、西軍だったために取りあげられて、福島正則、その後は浅野家が毛利に睨みをきかすために治めていました。
浅野家というのは、豊臣秀吉の正妻、北政所ねね(おね、ねい)の養家です。実の妹のややの婿が浅野長政で、その系統となります。

桜なし^^

大名庭園なので、中心に大きな池があります。

庭園めぐりはそこそこにして、梅林に向かいました。
咲いています咲いていますよ!!

一番豪華だったのはピンクの枝垂れ梅でしたが、その他のピンクの梅、真っ白の梅も満開に近くてそれは綺麗でした。




100本以上の梅の木があるそうですが、今年は寒かったせいで、早咲きが遅れ、遅咲きと一緒になって全部一斉に開花したので、それはもう豪華絢爛の梅見となりました。
白とピンクの夢のような眺めです。
桃源郷とは言いますが、梅の桃源郷のようでした。

ということで、梅見を堪能した後は茶店で一服。
甘酒を所望した夫ですが、既に売り切れだそうで、売り切れていないお薄ともみじ饅頭をいただきました。
そろそろ歩きでしたが、広い庭園の中を散策した後なので、苦いお茶と甘いお饅頭が特に美味しかったです。

再び白島線で八丁堀に出て、広島駅行きのマックスに乗車して元のスタート地点に戻りました。
駅前は絶賛九州展を開催中です。
グランヴィアも九州フェアでした。
ちょうど九州新幹線が開通して1年たったからでしょうね^^
さくらやみずほに乗って鹿児島に行ってみたいなと思いました。
この後は荷物を引き取り、おみやげを買い、新幹線の中で食べる穴子弁当を買ったら、もう時間です。
あっというまの1泊2日でしたが、我ながら充実した2日間を過ごせて大満足でした。
まだ見残した個所や心残りの食もありますが、今回はこれにて終了。
長い間かかりきりになってしまい、お付き合いいただき有難うございます。
そろそろソメイヨシノの蕾も膨らみ始め、4月に入れば咲くのだろうなと思っています。
早咲きの桜はもうバンバン咲いていて、今日も満開の桜の花見を楽しんで参りました。
広島の梅見の次は桜の花見となります^^;

昨日 今日(2/22)と小春日和が続いています。 広島縮景園の梅もそろそろ・・と陽気に誘われて行ってきました。 こちら縮景園は、広島藩主浅野長晟が入国した翌年の元和6年(1620年)から、別邸の庭として作られました。 茶人として知られる家老の上田宗箇が作ったお庭です。 園の名称は幾多の勝景をあつめ縮めて表現したことによる・・とか または、中国杭州の西湖を模して縮景したとも伝えられています。 昭和15年(1940年)に浅野家から広島県に寄付され、同年7月に国の名勝に指定されました。 原爆...... more
改めて懐かしく見せて頂きました
短い時間にあちらもこちらもよく歩かれて
見ごたえがありました
お疲れの出ませんように
梅林は 見事ですね!!
広い庭園を散策された後の 苦いお茶は
格別だったでしょうね。
ほっこり 一服なさってるのが 目に浮かぶようです。
1泊2日 充実のご旅行でしたね^^v
有難うございます。
新幹線に乗ればひとっ飛びですが、
なかなか思いきらないと行けません。
次は後楽園と岡山城と讃岐うどんと栗林公園の
1泊2日を目指しています。
いつになるやら^^;;
梅はなかなか咲かなくていらいらしましたのに、
あっというまに桜の季節です。
忙しいですね^^;
タイミングを逃してあまり梅は見られず、こちらで
堪能できてうれしかったです。
さすが広島、お茶のお菓子はもみじ饅頭なのよね~♪♪
と、おもいました^^;
駆け足の旅でしたが、行きたい所を訪ねて、
食べたいものをいただけて、大満足でした。
こちらで拝見できて嬉しいです♪
昨年行ったときの私の記事 TBさせてくださいね。
おばあ様 広島女学院のご出身ですか・・・凄いですね。
少しは広島とご縁があり嬉しいです。
TB有難うございました。
やはり去年とは梅の咲き方が違うようですね。
今年は全部一斉に咲いていたので、迫力がありました。
比較(になるかしらん?)2012年度の梅wをTBさせていただきます^^;
>祖母 確かそんな風に聞いたのですが、曖昧です。
祖母の長兄が牧師をしていたので、その関係かな?と
思ったりしました。住まいは四国だったのですが、、
(四国にはミッションスクールがなかったのかも^^;)