【晩秋の関門小倉旅行】九州鉄道記念館・車両展示場
2014年 11月 26日
バナナのたたき売りの碑を見に行った時に、九州鉄道記念館がすぐ近くに見えたので、寄ってみることにしました。いつもの通りに予習ゼロ、トップの画像も傾いていてごめんなさい。
HPです:九州鉄道記念館
ここから入りました。
トップ画像は入場料を支払う窓口のある、本当の入り口です。
おっちょこちょいなので、3つ並んでいる車両がまさか頭だけとは思いませんでした。
帰りに後ろから見たら運転席だけだった(爆)
ようこそ♪ のにぎやかし特急のようですね^^
はい、もういちど。
ご苦労さんよ
(だと、夫が主張www)
HPです: 車両展示場
で、HPを見たら本当に「ごくろうさんよ」と呼ばれていたそうです^^;
遠く米坂線から来たからだって。
懐かしいビジネス特急こだま色
帰りのJRの切符を見せると割引があるそうなので、しっかり引いていただきましたwww
鉄道で来る人優遇?
ごくろうさんよ
の横顔であります。
その後ろにもSLがいました。
磨き上げられてピカピカで鏡のようです。
鉄道ファンの方ですと、わくわくしちゃうのでしょうが、
SLって特に乗り心地の良いものでもなく、乗ってみたいな~とは
あまり思わない現実的な私。
だってトンネルの前には窓を閉めないとヒゲがはえるしね、、、orz
石炭をのせる貨車かしらん?
関門トンネルが出来た時の電気機関車だそうです。
長いトンネルの中でシュポシュポされると前が見えなくなるわよね、、^^;
「芝」の字が見えるから東芝も一枚かんでいるのかな?と思ったらそうでした。
東芝って機関車も作っていたんだ。知らなかった。
汽車会社というのも全然知らなかった。
そのものずばりのネーミング♪
門司港駅は終点なので、線路が沢山あり、電車が沢山止まっていました。
沢山ある線路の利用で鉄道記念館を作ったのかもしれません。
一石二鳥。
20年後の東芝only製の機関車です。
電気機関車の塗装は全国的に赤だったかしら?と、考えるのですが、
ウチ等の辺りをブーブー走っている桃太郎はブルーだわよね。
昔は赤かったのかな?
後ろも前も同じようなお顔でした。
で、突然古臭い車両が!!(説明書きを写し忘れたので以下HPのコピペです)
日本国有鉄道 キハ07 41号■製造初年:1937■製作社等:日本車両
◎特徴戦前の代表的な機械式(クラッチで変速する方式)気動車で、連結運転の時は双方の運転士が合図しながら走っていました。昭和27年にガソリンエンジンをディーゼルエンジンに変更。
この車両は昭和32年に豊後森機関区に配置され、宮原線で使用されました。昭和44年に引退となり豊後森機関区や大分運転所で大切に保管されていました。戦前に製造された同型車で原形を保っているのはこの車両だけです。
1937年製造の車両のせいか、座席もコンパクト。
昔の人の大きさに合わせて、スリムコンパクト^^;
この座席にお相撲さんが2人座れるのだろうか???w
私が2人でも無理かも←と、夫が笑ったorz
路面電車チックな気動車でした。
車内に入る時はスリッパに履き替えます。
明治時代に初めて鉄道が出来た時、お客さんは履物を脱いで乗ろうとしたと
よく笑い話で聞きますが、平成になったらこうなった。
こだま色の電車特急です。
これは昭和も比較的最近(なわけないか)←個人的には最近www
この特急もごくろうさんよのように、東北からの転身だそうです。
キは気動車のキかと思いますが、クってなんじゃろね?
ロは2等車でハは3等車かな~
勿論イは1等車^^;
日本国有鉄道の文字が見えます。
車内はこんな感じ
あああ~~~
懐かしいわ~~~~!!
突然後ろ姿の登場
世界初の電車寝台です。
クが電車でハが3等車(笑)でネは寝台のことかな。寝るのネ
昼間は普通の座席ですが
夜になると寝台車に変身!!
1日中フル回転の働き者です。
電車寝台というと、サンライズがありますが、昼間は品川辺りで寝ているわね。
荷棚の下と上にベッドがあり、引きずり降ろして3段ベッドになります。
忘れて起き上がると上の段に頭をぶつけそう。
寝台車はどんどん消えて行き、北海道新幹線ができれば北斗星もカシオペアも引退です。
九州に出かけてななつぼしに乗るしかなくなりそう。
ななつぼしに乗ってみたいな~
これが月光の顔です。
元の姿に戻したそうです。
私たちが修学旅行で新大阪から熊本まで乗ったのもこのタイプでした。
本当はブルートレインで横浜から行くはずが全員の切符がとれなくて、私たちのグループだけが、新幹線で新大阪に出て電車寝台に乗りました。電車寝台なんてまだ珍しかったから、わくわく♪
新大阪で乗車して、友達とわいわいしていたら、すぐに大阪駅。
沢山の人に見られるようでびっくりしたのを思い出します。
月光の後ろに富士もいました。
修学旅行の帰りは別府だったかな?から富士で翌日横浜へ戻りました。
勿論この富士ではなくて、もっと古い3段かいこ棚寝台車です。
これまた懐かしい。
このタイプのブルートレインは、以前は東京駅でよく見ました。
自分の乗りたい東海道線の位置まで、ホームを歩くのですが、その横手に停まっているの。
食堂車が見えると、いいな~私もこれに乗って九州に行きたいな~と思いました。
出発時刻の早い「さくら」をよく見たのを思い出します。
まあね。最後の頃はがらがらだったけれど。
新しい車両(70年代なんてつい昨日)なので、B寝台でも2段の時代ですね。
これだと頭ごつんは避けられるかもしれないww
一番先頭まで来ました。
隣にはJR九州の電車が沢山とまっています。
JR九州は車体に「Kyusyu Railway Company」と表記するのが、
目新しくて新鮮でした。
野外展示を見たので、本館に入りました。
先日孫たちも行って楽しんできたようです。
寝台列車 よく利用した私なので懐かしい思いがします。
昔は三段になっていて狭かった!!
富士もよく利用したブル-トレインでしたが70年代は2段なのですね~そうだったかな~~?って遠くの出来事のようです(^^ゞ
「あさかぜ」「さくら」など広島駅の通過時間が良くてよく利用しました。
いつか行って見たいです。
印象深いのはお袋と上中里(京浜東北線)の鉄橋からみたSL・・・
煙がもう凄くて退散~!(笑)
とっても良い時代の思い出ででしたw(^_-)-☆
こんなに色々あるとは思いもよらず、
ちょっと覗きに行ったつもりが随分長居をしてしまいました。
懐かしい汽車電車があると、思い出がよみがえって
楽しいですね^^
あ~あ~こういうのが走っていたわ♪って^^
>富士 私もこれにも乗ったわ!!とコーフンしましたら、中が少し違うので??でした。新しい富士だったようです。
>通過時間が良くて なるほど。ブルートレインは九州に行くためのものかと思っていましたが、山陽でも利用価値があったのですね^^
関西は真夜中で使えませんでした。
治郎右衛門さんは、汽車ぽっぽよりも
車がお好きなタイプでしょう?
お小さい頃の思い出が煙かったのが
お気の毒www
上からは見ない方が良さそうですねww