【大人の休日倶楽部パス旅】⑰三内丸山遺跡【3日目】
2015年 07月 18日
びゅうバス「八甲田号」は最終目的地の新青森駅、青森駅へ向かう途中、縄文遺跡で有名な「三内丸山遺跡」に立ち寄りました。
青森県には沢山の縄文時代の遺跡があるそうです。
こんな北の寒い所にと疑問ですが、当時は今よりも温かくてちょうど良い気候だったらしいのです。
なるほどね。
雪もさほど積もらなかったのでしょうか?
私が小学生の頃は、縄文時代はまだ文化らしきものも少なく、狩猟採集生活だったと習いました。
ところが、ここの発掘により、どうもそうではないらしい、もっと優れた文化が弥生時代の前にもあったらしいというのがわかってきて、50年前の知識が覆されております。。。
HPです: 特定史跡「三内丸山遺跡」
青森県は太平洋側の南部と日本海側の津軽に大きくわかれます。
南部側は冬も雪が少なく暮らしやすいけれど、津軽地方は雪が深くて、しゃべるのも早口になりがち、、などなど、、色々生活風習にも違いがあるのだそうです。
八甲田山の真冬の遭難も、津軽側の兵隊さんは雪の怖さをよく知っているので、慎重に進み遭難などしなかったけれど、南部側の兵隊さん(というか、トップ)は、雪の怖さに疎いためにあんな悲劇が起こったとか聞いたように思います。雪は本当に怖いですね。
で、雪の積もる青森市の信号は縦長信号。
横長だと雪が積もるから。南部では横長よと、ガイドさんが言っていました。
この冬だったかLEDに変えたら、ランプの温度がないせいで雪が溶けず信号が見えなくて困ったというのは、どこの話だっただろうか???
津軽と南部の違いなどを聞いているうちに、遺跡の入り口になる建物に着きました。
今回はボランティアガイドさんがつきますが、40分ほど歩くので、それが辛い方は自由行動(建物の中を見学したり映画を見たり)と、2手に別れました。何分「大人の休日倶楽部」なので、若い人はいませんものね~、、、
地元のボランティアガイドさんの後ろにくっついて進みます。
ここは道路と墓地跡だったでしょうか?
かなり広く取った墓地なので、当時の偉いさんのお墓であろうと想像されています。
この辺りずっと大人の墓地の跡
時遊館を出て、縄文時代にタイムスリップ!!
さて、遺跡の始まりです。
もともとココには新しい野球場が造られるはずでした。
造成していくうちに遺跡が発見されて、
さて、
どうしよう!
野球場も必要だし、遺跡も潰せない、、
困った困った青森県(青森市?)
もめたようですが、結局大きな遺跡が出てきたので、残すこととなったそうです。
で、野球場は古いまま、、orz
ぐるっと見まわしました。あの白いトンネル状のものは何だろう?
大きな藁ぶき屋根のおうちは何だろう??
まず最初はゴミ捨て場(笑)
白いビニールトンネル様のものは、地中の遺跡見学のためのものでした。
画像はHPから借りましたが、このようなものが見られます。
そして、縄文人はこのような所に住んでいたのではないだろうか?
と、想像の産物←だって誰も見た人はいないしぃ~~・・
これまでに550棟も見つかったそうです。
随分たくさんの住まいがここにあったのだとびっくりしました。
地下の見学用のトンネルです。
大きなおうちの柱の穴
大人のお墓
最初のものとは別物のようです。
高床式で中に囲炉裏がないため、住まいではないだろう、倉として使っていたのではないかといわれています。
最初柱は蔓で結わえられていたのでは?と思われていたそうですが、蔓の強度ではとても何年もは持たない。どうやら木に穴を穿って差し込んで組み合わせたらしいとわかってきました。
縄文時代といってもここまでの技術があったことに、驚きました。
高床式は正倉院を思い出しますが、もっとずっと前からあったのですね。
ごみ捨て場色々
今となっては宝の山??
一見何だかわかりませんが、色々なカケラが埋まっているのかしら?
子どもは土器に入れて埋葬したそうです。
大人のお墓に比べると数が多いので、やはりこの時代子どもが成長するのは難しいことが多かったのでしょうね。
まだまだ発掘されていない処が沢山あります。立ち入り禁止。
最後にずっと気になっていた、柱と建物のある所までやってきました。
まずは柱から。
遺跡を保存することになった決定打は、この柱の穴だったそうです。
これが決め手!!
この穴の大きさから柱の高さなどを計測したのでしょうか?
再現のための巨大な栗木は、遠くソチから運んだそうです。
日本にはこんな大きな栗の木がないそうです。
へぇ~~~~
実際はもっと背が高かったらしい。
それにしても、こんな巨大な柱、、
何に使ったのでしょうね?
火の見櫓かしらん?と、想像力のない私は首をかしげるばかりです。
さて、大きな建物の中を見学します。
虫が付かないようにしょっちゅう燻しているそうです。
この日もくんくんと燻した臭いが鼻をつきました。
とにかく、広い広い広い建物です。
この広い中で何をしていたのか、何に使われたのか?
集会場なのか?
まだまだ謎に満ちた三内丸山遺跡でした。
一番短いコースのガイドツアーでしたが、大枠をなぞれて良かったです。
やはりガイドさんのお話を直で耳にするのは、ウェブサイトを見るよりも印象に残りました。
いにしえの人々の暮らしを想像?妄想?するひと時となりました。
新青森駅までは20分位だったか、すぐです。
ここで皆さんとはお別れ。
赤いびゅうバスともお別れです。
2日間有難う!!
とても楽しい旅行でした。
意外と住み心地がよさそうな気も^^
縄文時代はもっと原始的な生活だったのかと
思っていましたが、集落があり、集団で生活していたようで
今までのイメージががらがらと崩れてしまいました^^;