【1970年のJALの機内食メニュー(北極航路)】
2017年 01月 28日
狸田所長さんのコメにエールフランスの北極通過証明書があるとのことで、
ウチにもあるのですが、JALで、1970年ですから5年負けた(爆)
上はメニューの表紙です。JALらしいそっけなさ、、
松尾静麿時代ですね。日付変更線通過記念証もありますよ。松尾静麿。松尾静麿長いわ~~
メニューの表紙をくると、中表紙
まあね。羽田で作るのですから、似たような内容です。でもないか、スナックだから軽め?
紅茶もあります(笑)
アンカレッジで牛肉をのせたのか、ステーキが出ました。
やはり古めかしい表現ですね。牛繊肉とか、宮中晩餐会のよう (^^♪
日本語だけを写しました
クロワッサンじゃなくて、クレッセントロールなのですね~、昭和のネーミング?
朝は日本茶ではなくミルクがあります。
それでですね、いやにページ数が多いわけです。
う~~む、、???
1970年ですから、JALも毎日ロンドンやパリに飛ばせたわけではないのでしょう。
1週間分をまとめて1冊にしたのでしょうね。
行先がばらばらwww
ばらばらの行先から、さらに先があります
なんだか訳のわかりにくい、メニューではありました。
でも、私が乗った頃も行先が色々だったような記憶があるので、
こんなものなのでしょう。私の時代になると、記念証だの立派なメニューはもうありませんでした。
到着したのは、ロンドンだったようで、こんな写真が貼ってありました。
まだエリザベス女王がもう少し若かったころです、、
これは、絵葉書です。
ロンドンの次はパリ
セーヌ河畔
オーソドックスに凱旋門
凱旋門の中からシャンゼリゼを眺めた図でしょうか?
絵葉書です。この眺めは今もたいして変わらないのでしょう。
それから、モンマルトル
テルトル広場の似顔絵描きさん。
この人に描いてもらったのですが、全然似てなかったわ。
その絵はどこかにあるのだろうか??
賑わうテルトル広場
次はドイツです。ライン河
船の写真があるというのは、乗りはしなかった??
お次はウィーン
今でも馬車なんて走っているのですか??
オーパーと赤白電車
リンクを走っているのかな?
私も一度だけ真冬のウィーンに行ったことがあるので、赤白電車は懐かしいです。
新宮殿とありました。
ウィーンの絵葉書です。
ここに写っている像は今も変わりがないでしょう
それから、デュッセルドルフ
ヘンケルのハサミやあれやこれやを買ってきてくれました。
ウチの包丁はいつも双子印だったな~
コペンハーゲンでJALに乗ったようです。
SHIMA と名前が見えますね。
今はもう名前なんてついていないのよね?
いろんな国、いろんな機種の飛行機を体験しているのでしょうね、
バグースです。
私は、ガルーダインドネシア航空の赤道通貨ステッカーを持っています。
そう、最近は機内食のメニューは回収されるようになってしまいました。
持ち帰りが楽しみだったのにな。
昔はヒコーキに乗って外国へ出かけるのは大仕事でしたものね。
航空会社のビニールのショルダーバッグも色々ありましたわ。
捨ててしまったかな、、
今は昔の昭和の思い出です。
>メニュー でも、写真に撮って置けば、嵩張らないお土産になりますから
それでよろしいのでは?←21世紀
サンドのアリークローも??
ハンブルクというとハンバーグのイメージですが
この頃、ハンバーグはポピュラーではなかったのかな?
オイルショックぐらいの時期ってヘアースタイル、
ファッションもステキで一番気になる時期です。
>タート 英文字はタルトレットとなっているので、
タルト皮の上にサラダをのせたものかと思います。
まだタルトだのタルトレットだのが一般的ではない時代でしょうね。
>ブリークロー コペン便なので、スウェーデン料理だそうです。
淡水魚の卵(たらこのような感じ)で珍しいそうです。
>ハンバーグ 個人的にはアメリカでハンブルク出身の方が食べた
イメージが強いのですが、現地でも一般的なんでしょうかね??
よくわかりません。
>オイルショック 上を下への大騒ぎの時期で、トイレットペーパーを
探すのに忙しくて、ヘアスタイルの印象が薄いです(爆)
スカート丈が戻ってきた頃だったかな?