5月19日(木)晴れ【夏目漱石ー漱石山房の日々】
2005年 05月 19日
2005年05月18日14時03分(アサヒ・コムより)
夏目漱石(1867~1916)が死去までの9年間住んだ「漱石山房」(東京都新宿区)を、旧居跡に復元する計画が進んでいる。山房は漱石が「こころ」や「明暗」など代表作を執筆、芥川龍之介ら門人・知人が集まったところで、近代日本文学を象徴する場でもある。土地を所有する新宿区は、来月にも有識者や地域の人を含めた懇談会を開き、復元の方法や活用の仕方などを具体的に話し合う。
旧居跡は現在、同区立漱石公園(同区早稲田南町7番地)になっている。敷地が約1000平方メートルあった旧居は漱石没後、家族が住んだが、45年の空襲で焼失。その後、敷地の約半分に区営アパート1棟が建ち、残りが漱石公園となり、漱石の胸像や「吾輩は猫である」にちなむ猫塚がある。この公園に書斎と応接間などを復元する計画だ。アパートがあるため、全体の復元は難しい。
旧居の設計図は残されていないが、写真や本人、知人が書き残した記述などを総合して復元する。書斎と応接間はそれぞれ8畳で、廊下に囲まれている。この様子は随筆「硝子(がらす)戸の中」などで印象深く描かれている。
漱石の長男故純一氏に生前、間取りなどを詳細に聞き取り、概略図を描いたことのある工学院大学の中山繁信教授(建築学)は「正確な設計図がなくても十分、復元できると思う」と話す。
区では今年度から3年計画で、7500万円規模の同公園のリニューアルに取り組んでいる。当面は公園を補修し、山房復元や完成後の維持管理、活用の仕方などについては来月中にも懇談会を開いて意見を聞く予定だ。中山弘子区長は「漱石ファンや地域の方の声を聞きながら具体化していきたい」と話す。
漱石の旧居のうち「吾輩は猫である」を書いた東京・千駄木の家は、愛知県犬山市の明治村に移築、保存されている。
昨日鎌倉文学館の企画展「漱石山房の日々」を見て帰り、朝刊を手にしたらこの記事がありました。何という偶然でしょうか!7月3日までのこの企画展でも漱石の書斎を再現した文机や万年筆などが展示してありました。復元が実現するとこれらの品々も神奈川近代文学館からお引越しをするのか、それともそれらも一緒に復元するのでしょうか?今回の展示品は主に神奈川近代文学館と日本近代文学館(こちら確か前田家の本邸)からの借受けのようです。神奈川県と前田家つながりかな?なんて、どうでもいいことを考えながら見学しました。展示品の直筆原稿などは複製が多いのですが、文豪の在りし日を偲ぶのにはそれで充分でした。
この絵は津田清楓が画いた「漱石山房とその弟子達」という作品です。
漱石山房に出入りする人達は、松山中学・熊本の五高・一高・東京帝大の教え子たちが中心でした。この絵の中に姑の親戚が入っているのでちょっとのせてみました。有名な人ではありませんが、ウチでは「あ~あの、漱石のお弟子さん」で通っている内輪の有名人です。絵を見つけたので、行って良かったかなぁ~とちょっと思いました。
できるだけ忠実に復元してもらいたいですね。
公開されたらぜひ見にいってみたいものです。
内輪の有名人・・・これどこのおうちでも誰かしらいますよね。
親戚の集まりのときに必ず登場しませんか?(^^)
どうせなら、隣の区営アパートも移設してもらって、元の通りに復元してもらえるともっといいのですが、、、ねぇ~?ダメ?
ついでに、猫も何匹か、、、
別にすごくないですよ~・・・
たまたま教え子だっただけのようですから。
「弟子」というのは内輪の言い方で、ただおうちに行ってわいわいあ~だこ~だ騒いでいたのではないかと思うのですが・・(勝手に決めつけ)
何だか迷惑なので、来てもいいのは木曜日だけになったそうです。
漱石先生執筆する時間がなくなりますものね。
わたくしは、「吾輩は猫である」を、ぜひともうちの上の仔に読んでほしいのですが、本人は部活と宿題で忙しく、なかなか長編文学に親しむ時間がなさそうです。
嗚呼…わたくしも、明治時代にタイムスリップして、漱石の文壇の片隅の片隅、庭の隅で彼らの活動を眺めるだけでも、やってみたいです(笑)
「猫」は面白いですよね~。
私が中学生の頃は新カナになっていなかったので、「兎に角」など、やたらに出てくる当て字が読みづらくて断念したのを思い出しました。(トシがバレる・・・)
タイムスリップできたら、夏目家の猫になって、みなさんになでなで可愛がってもらいたいです。(=^・^=)