【クリスマスクルーズ2018】松阪観光・本居宣長記念館【にっぽん丸】
2018年 12月 25日


三重交通の観光バスに乗車して午前中は松阪市内観光をしました。
とにかくどこにあるのかすらわかっていない松阪市なのでおまかせ~~~
オプショナルツアーは結構お高いけれど面倒がなくて助かります。
その上普通ではない、いいこともありました(^^♪

毎日こういったリーフレットのその日のスケジュールがドア横に入っています。
しっかり読んで頭に入れておくと良いのですが、頭に入らないぃ~~~(困った)

三重県だし、三重交通よねと夫に云うとその通りでありました。
あはは

お世話になったガイドさんです。大変丁寧な物言いの方でしたが、丁寧過ぎて、、う~~む、、今時のお若い方って丁寧過ぎるのよね。あまり丁寧過ぎると慇懃無礼になってしまいがち(コラ!)

港の方に見送られて出発です

あんな遠い所に泊まっている~~~と、一瞬見えました。
何故か衝立じゃなくて看板?塀のようなものが目隠しするので写真が撮れなかったのだ。

松阪といえば松阪牛ですが、最近は牛の肉だけでなくホルモンも美味しくて人気だそうです。豚も売り出し中。とにかく牛ぃ~~は高いからね、、、orz

全員一緒だと案内が大変なので2班にわかれました。小人数主義なのね~今時の英語のクラスのよう(笑)
左と右の列に分かれました。右側が先に下りて、三井家発祥の地などをめぐります。私共は松阪城に連れていかれました。

行ってしまったので右側がからっぽに


といってもあっという間に駐車場に着きおろされました。

お城を目指しててくてく
立派な建物の前を通りましたが、いかにも病院っぽいの

と、思った通りに市民病院でした。
地方都市に行くと立派な建物はお役所だったり病院だったりが定番

通り過ぎるついでにパシャ

お城の入り口に到着しました。
立派な石垣が目につきます



蒲生氏郷が作ったお城だそうですが、お城自体はとっくになくなり残っているのは石垣だけらしいです。それにしても石垣が見事でした。石垣のお陰で国の史跡になっているらしい。

12月なので殺風景ですね。
蒲生氏郷ときくと近江の人だと思うのですが、松阪でお城を作ったんだ。知らなかった。
何故か蒲生氏郷と聞くと日の菜漬けを思い浮かべるのですが、何故なんだろう?
日野菜漬けって色合いがピンクで、とても綺麗なお漬物ですよね。
大好きなのよ。
近江商人を育てた武将で有名だそうですが、松阪に来ても同じように育てたのでしょうね。
松阪商人(伊勢商人)も江戸時代に大活躍しました。
越後屋の三井家が筆頭有名人ですが、他にも沢山の豪商が生まれた地だそうです。
松阪は。
へぇ~~~~~
伊勢商人=松阪商人 というのが今一つピンと来なくて
へぇ~~
へぇ~~~
へぇ~~~~!!! な無教養なワタクシでした。
夫なんて三井家って京都だと思っていたそうです(間違いではないけれど)

建物は残っていないのに、何をてくてくと歩いているのかというと、

小学校6年の歴史の時間でも習った(と思う)江戸時代の国学者、本居宣長の記念館を訪ねて歩いているのです。てくてくのてく。シニアの女性がおひとり転ばれてびっくりしました。歩けないわ~~と最初から不参加の女性もいましたわ。ツアーの説明をよくご覧にならずに参加されたようです。☆彡が3つついていたので歩け歩けツアーだったのだ。


☆1つは立ち上がったら座るだけ ☆2つはちょっと歩く ☆3つは結構歩くのであります



とにかくお天気が良くなり幸いでした。
傘をさして歩くのだといや~~んだものね。












ようやく本居宣長が長い間住まいした「鈴屋(すずのや)」に到着しました。

お正月飾りのしめ縄ですが、1年中玄関先にぶら下げておくのが伊勢流だそうです。



こちらは前を通り過ぎるだけだったので合間にぱしゃぱしゃ

やっとこさ記念館に着きました

入口の床ですw


色々な説明も聞きましたが、とにかく本居宣長が書いたものを見て下さい!!
百聞は一見に如かずということでしょうか?
収納庫の中に案内されて、江戸時代の現物を見せていただきました。


大変な数の著作が大切に収納されていました。
桐ダンスに入っているのよ!!
桐ダンスに入れておくと湿気も吸わないし、火事になっても燃えないそうです。
びっくり
桐ダンスって着物専用かと思っていましたが、書物にもいいのですね。
で、本居宣長は生きている間中書き物をしていて、その字がまた活字のように丁寧で綺麗で読みやすいのでありました。で、ただ学者をしていただけでなく、お医者さんが本業で、遠くまで往診していたそうです。よく書き物をしたり勉強をする時間があったものだと感心されていました。寝る時間もなかったのかもしれません。
お子さんは5人いて、年収は今の金額になおすと1000万は下らず、良い暮らしだったそうです。
勤勉家のお医者さんだったのね。
お勉強が好きなのでお母さんに医者になれと勧められたそうです。
とにかくあの細かい字を見ただけで(気が遠くなりそうだった)勤勉家というのはよくわかりました。松阪の秀才だったのね~~
本居宣長の研究のお陰で日本人の考え方が変わったそうです。
それまでは一番偉いのは中国で、中国の真似をしていれば良いという考えが主流だったのが、
いや、中国は易姓革命があり、その度に王朝が替わり、やり方が一変する国。
でも日本は違う。革命なんてなかったしずっと続いている国だ。
ということで、中国一辺倒から変わっていったのだそうです。
って、小学校の歴史の時間かい?

こちらの頭も小学生とたいして変わらない中味なので、へーへーと畏まってお話を伺いました。
資料はとにかく沢山ありました。
出口の床(入口と同じ)

駐車場に戻り、次は松阪商人のお勉強です

それでですね。
三井家発祥の地の隣にあった建物にいたのが
ライオン(笑)
三井越後屋といえば、三越です。
三越といえばライオンなのだ~~~!!
(どこぞの閉店した三越からライオンをもらい受けたらしい)

