【ヴェルサイユ宮殿の思い出】
2024年 08月 12日
パリオリの馬術とペンタスロンの会場になったヴェルサイユ宮殿のお庭
こんなところでお馬さんをパカパカ走らせられていいなぁ〜
と、羨ましく思いました。
訪ねたのは、50年前の今頃とその後の冬、3回目はもういいやとパスしてフォションでフォアグラ買ってた🤭
一番印象に残っているのはやはり初回の夏でして、ツアーバスではなく電車に乗って行ったせいか記憶に残っています。バスツアーは楽ちんですが苦労をしないから記憶が薄いですね。
確か行きはモンパルナス駅からSNCFの電車で行ったのですが、駅から宮殿までは少し距離があり、辿り着くのが大変。帰りは宮殿の近くに駅がある郊外電車?のようなものでゴトゴトパリまで戻りました。
鉄道というとヴェルサイユの後に8月15日の聖母被昇天の日(日本は終戦記念日ですが休みではなくおフランスは休日)にシャルトルへ行ったのですが、祭日なので割引があり、割引切符を自販機で買えるのね。日本と違い当時のおフランスの自販機はお釣りが出ない。あらかじめ小銭に崩しておいて、行き先の切符の金額まで小銭をちゃらんちゃらんと投入する方式でした。お国変わればなんとやらだな、めんどくさいなとちゃらんちゃらんした思い出、、、
↑借り物画像ですが、昔はシャンデリアなんてぶら下がっていなかったような、、
ヴェルサイユでは、1日みっちり観光をして、午前中は宮殿内部。有名な鏡のギャラリー?
ほらよく宴会をするところや、室内などを見学し、午後はお庭を見てまわりました。
ベッドが小さくてこんなところで寝られるのだろうか?と疑問疑問、、
内装もキンキンキラキラ、どちらかというと悪趣味で、ふ〜んと思いました。
後年マリー・アントワネットの母国のウィーンのシェーンブルン宮殿を見学したら、趣味が良くておフランスよりも、おオーストリアだわね💕と思った記憶🤭
お庭ったって広大ですから、大変。
夏のお天気のいい日だったのは幸いでしたが結構暑かった記憶もあります。
もちろん今のように温暖化の異常気象になる前ですから、普通にエアコンなんてない時代です。
エアコンなんてフランスにはそもそも存在していなかったかも。
北海道よりも高緯度ですものね。
日本だってまだクーラーのない家が沢山あったものね。
ランチはどうしたのか記憶がありません。
もしかしたら何か買ってきてベンチで食べたのかも。
お惣菜屋さんが充実していたから、テイクアウトはよくしました。
ちっちゃい箱中くらい、おっきな箱と種類があったなぁ〜←お惣菜屋(デリ)さん
広い広いお庭にはグラントリアノンやプチトリアノンがあり、
首チョンパされたマリー・アントワネットの物語を思い出させます。
ちょうどベルばら全盛期で、確か長谷川一夫演出の宝塚の公演が始まった年だったかもしれません。
マリー・アントワネットのヴェルサイユ宮殿にとうとう辿り着けて嬉しくてたまりませんでした。
気分はワクワクぴょんぴょん😄
グラントリアノンはあまり覚えていませんが、プチトリアノンのアモーの田舎家は本当に可愛くて、ゼラニウムの花盛りで、ここでマリー・アントワネットやナントカ伯夫人(遂に名前忘却)が遊んだのかと思うと感慨ひとしおでした。
*追記: ポリニャック伯夫人でした。翌日突然思い出すの巻、ポリニャック家の子孫にモナコのアルベール2世がいるのは有名
ヴェルサイユに来られて嬉しくて嬉しくて堪らなかった50年前の夏☀️
2回目は冬のバスツアー半日観光でした。
さささっと宮殿内部を見て周り、ランチを済ませて次の場所に移動というスケジュールでした。おフランスなのでランチタイムも結構時間を取ってあり余裕かと思い、レストランに入ったのが大間違い。
簡単にカフェで済ませればもっと見て周ることが出来たでしょうに甘かったです。
なかなか注文を取りに来ないし、料理も出てこない。
時間がどんどん過ぎて行くので、致し方なくデザートはいいからお勘定をしてくれ!
と、やっとこさ捕まえたウェイターに言うと、仕事は遅いくせに愛想だけは良くてハイハイと持ってきた勘定書、、、
食べていない料理どころか頼んでいない料理まで書いてあり、相当イライラしていた温厚なワタクシ目もブチ切れて😂
こんなもん頼んでいないでしょ‼️
そもそも頼んだものも持って来なかったじゃないか❗️
と、喚いたら、おっさん恐れをなしてハイハイごめんネと
訂正してくれましたが
観光地ってホントいやぁ〜ね‼️
ぼられてたまるか!
という、ブチ切れた思い出しか残っていないヴェルサイユ宮殿😂
いつもは大人しくてへーへー言ってる私なのに、怒ると血圧が上がってフランス語で喚けるのがわかりました🤭😛😂 自分新発見‼️
スルーした3回目は両親と一緒の観光旅行で、母が疲れ気味だったため、午後のヴェルサイユ観光はパスして二人だけ(父は勿体無いから観光参加)パリの街中の小さなレストランでランチを済ませ、お土産を仕入れ、マドレーヌ広場のフォションでももう一つのナントカ(名前忘却昔銀座松屋にお店があった)でもない、サロンドテでお茶してパリ気分満喫。
で、ホテルに戻るとヴェルサイユから戻ってきた、ツアー仲間がルイヴィトンに行きたいけれど一緒に行かないか?
と、誘われて当時は日本人のお客さんで溢れていたお店に行って、記念に安いバッグを一つお買い上げ😂
この時のツアーはモンパルナスのメリディアンに泊まったのですが、あまりフランス風じゃないなと思ったら元はシェラトンだったそうで、アメリカ〜ンな佇まいのホテルが珍しかった思い出←たいてい安いホテルに泊まるためフレンチ感満載で色々大変だったのよ🤣
と、覚えているうちに書いておこうとぐだぐだ書き連ねました。
10年前に書いた40年前の夏の思い出を読み直すと、忘れていたことが色々あってやはり覚えているうちに書いておかなきゃと思った次第です。
今回のオリンピックのせいでフランスのワルクチが沢山見かけられますが、そもそもそういう国なので何も驚かない😂
最初から憧れもなかったし(ベルばら以外)、日本とは根本的に感覚発想が違うから、そういう面をいつも楽しんでいました。
面白い国よね〜
この前の選挙にしても、欧州議会選挙で負けたから解散‼️
って発想、、、
普通しないでしょう?
みんなびっくりしちゃって狂気か天才か?と悩んだもの🤣
だってボロ負けするに決まってるじゃん
ほんでもって、右が嫌でアンチ右対策したら勝ったのが左🤣
混乱まっしぐら
もうさ〜
喜劇よね
オリンピックも終わったし(パラはまだですが)ペンディングしていたマクロンも動くのかしらね?
パラリンピックってフランス語だとパラランピックになるから、なんか可愛いナ💕と思うワタクシ
鏡の回廊を見て、しっくりこなかったのはシャンデリアの
せいかしら? TVでみてなんか違うのよねーでした。
フランスはホテルで日本人だけの食事エリアがあり、
飲み物は端っこにあるテーブルでお金を払ってから
でした。
完全な人種差別を受けて、期待もしていなかったけど
失望したフランス旅行です。
50年前はニクソンショックの後なので300円位だったかもしれません。
ドルは持たずフランだけだったから不明です。
1フランが60円くらいでした。40年前は28円位だった記憶が🤣←ユーロ以前
>差別 日本人に気を使っただけなのでは?
言語不自由だからまとめておくとか🤭
フランスのお勘定って結構七面倒くさくて、日本人はイラつくから、、
デパートでさえ金額を紙に書いて貰いレジで支払い、支払ったよ
とレシートを持って行って品物を受け取るとか、面倒だった大昔の記憶があります。
1個のはずが2個の値段になっていて、売り場に戻って違うよと書き直して貰い
またレジに支払いに行くという行ったり来たりをさせられて
ウンザリした覚えがあります。