昭和54年【1979年のヒットソング】45年前
2024年 09月 09日
1979年のヒットソング100がありましたが、ほとんど知っているのに驚愕しました。
2024年のヒットソングなんて何一つ知りませんし、そもそもヒットソングというもの自体があるのかどうかもわかりません。
懐かしい昭和
何故私でも知っているのかというと、ザ・ベストテンを見ていたからです。
それまで歌の番組なんてほとんど見たことがなかったのに、これだけは毎週欠かさず見ていました。
黒柳徹子と久米宏のコンビが懐かしい❣️
バブル前、オイルショックで景気の悪い時でしたが、まだ日本には活力があったので、閉塞感は感じませんでした。自分自身が若かったせいもあるでしょう。
>1979年
3月22日 - 視聴率が35.8%を記録。
4月5日 - テレビ山口(TYS)ネット開始。オープニングにて、ネット局の紹介があった[注釈 6]。ゴダイゴがライブ会場の福岡市民会館から「ガンダーラ」と「モンキー・マジック」を歌唱。RKB追っかけウーマンの葉山さつきとともに、TYS追っかけウーマンの米山千枝子も中継出演し、全国に向けて挨拶と曲紹介を行った。
4月5日・12日 - 西城秀樹の「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」が計算上の週間得点の最高である9999点を獲得。番組史上満点を獲得したのはこの曲のみである。
この年の6月30日を持って久米はTBSを退社してフリーアナウンサー・タレントに転向するが、本番組の司会はそれ以降も継続した。
8月9日 - パリからの衛星生中継。
10月25日 - 松坂慶子が「愛の水中花」で初ランクイン。初登場の歌手がサイン帳にサインを記す、その第1号となった。
12月20日 - 放送100回を達成。登場してくる歌手から黒柳は花束を贈られた。発表されたデータでは、これまでで中継221回、リクエストはがき14万通以上。
12月27日 - 「年間ベストテン」では、通常のベストテンではベスト3に入らなかった渥美二郎と小林幸子がロングヒットにより年間ベスト3に入り(渥美は年間第3位「夢追い酒」、小林は年間第1位「おもいで酒」)、両者がスタジオで歌唱。渥美は通常のベストテンでは3週のランクイン、すべて10位であったが、8か月間ベスト30に入り、年間の高得点に繋がったことを久米が解説。第2位はサザンオールスターズの「いとしのエリー」。通常のベストテンでも7週連続1位獲得。小林は事情を知らずにスタジオ入りし、出番待機中に自らが年間第1位に入ったのを知り、涙ながらに歌った。視聴率は35%。
歌のタイトルを眺めるだけでしみじみと感慨に浸ります。
社宅でひっくり返って、ゲラゲラ笑いながら「じゃりン子チエ」を読んでいた私😛
昨日のことのように甦ります。
なんか変だなと思ったら、この記事のきっかけと同じだった記憶喪失😂
3年経てば又忘れるのだろうか?
3年前と1位が違うのが可笑しい🤣
そもそも松原みきさんを知らないからこういうことになる←他人のせい🙃
今でも口ずさんでしまうのが、日曜日の19時から放送していたアニメで、
主人公のガンモ(鶏)で縦横と同じサイズ。
バランスをとるたるにスニーカーを履いていました。
この主題歌ガンモ・ドキッを歌っていたのがスージー松原で
スージー松原が松原みきでした。
この主題歌が聴きたくて早く帰宅していたんですよ。
一度聞いてみてください。テンポと歌詞がいいんです。
このサイトの一覧の曲名をクリックすると歌詞が出てきますよ♪
思う存分歌って下さい❣️
松原みきさんは当時も今も全然知らなくて
今頃ヒットしても困ってしまいます😅
ソーニャさんにはお馴染みさん❣️