【パスティス】
2006年 07月 24日
随分昔の元旦にこのマルセーユにある、金キラのマリア像がのっている「ノートルダム・ドゥ・ラ・ギャルド」教会に初詣をした思い出があります。初詣なので、普段はしないローソクを供えたりも致しました。お天気が良くて、テレビ放送と同じような青い空だったのをよく覚えています。
旧港にウニ屋さんがいて、1個殻を割ってもらって食べたら塩辛くてあまり美味とは思えませんでした。
元旦の思い出はそれ位かしら。。。
マルセーユはパスティスで有名というか生まれ故郷の街だそうなので、知らなかったので、へぇ~~~の私でした。
【Wikipedia】より
歴史
パスティスの名は"se pastiser"(似せる、まがい物の意。パスティーシュと同語源)に由来する。
パスティスは元々、ニガヨモギを加えて作る香草系リキュールアブサンの代替品として生み出された。ヨーロッパでは1915年にアブサンの製造・流通・販売が禁止されたため、ポール・リカールによりアブサンの製法を改良してパスティスが作られた。その後ペルノー社など、アブサン製造元であった多くのメーカーで製造されるようになり、現在に至る。
特徴・背景
マルセイユ産のスターアニスと、リコリス、フェンネル等のハーブにより風味付けされている。
アルコール度数は40~45度と強く、甘口だが、強烈なアニス風味が特徴。特にフランスのマルセイユで作られ、アルコール分45度以上かつ、アニスが1リットルあたり2グラム以上含まれるものにはパスティス・ド・マルセイユと表示されることが認められる。
フランスでは特に南部地方を中心に食前酒として愛飲されてきた。
一般に氷や水で割るか、シロップを加える、カクテルに用いるなどして飲む。緑色のアブサンに対しパスティスは琥珀色だが、アブサン同様水で割ると白濁する。
ピーター・メイル著のエッセイ「南仏プロヴァンスの12ヶ月」(ISBN 4309202098,日本語版は1993年出版)中で紹介されてから特に有名になった。
プロヴァンスとピーター・メイルは切り離せない存在なのでしょうね。
学生の頃にディジョンのサマースクールに参加した際、お料理教室というのがありました。ホテル学校(専門学校?)の先生が外国から来た学生にフランスの郷土料理を教えてくれます。お料理だけではなくて、ワインやリキュールの講義&試飲もありました。
その時にパスティスも出てきたのです。
水を加えるとマジックのように、琥珀色から白濁します。
ちょっと面白かった。
ただし、アルコール分が45%ですから、私にはとても無理でなめただけで降参(--)/
アニスのきつい香りは初めてで、忘れられない香りの思い出となりました。
お料理教室といっても食べ物が出来ると、後は食べて飲んで賑やかに楽しく過ごしたものです。日本のマジメな教室とは大違い!いつも帰りが8時ごろになってしまうのですが、夏の夜は明るくて、とっくに終わってしまったバスには乗れずトコトコと歩いて帰ったのも楽しい思い出でした。色々教わりましたが、日本ではあまり応用出来ず、結局その時に楽しく美味しく食べただけで終わったのがほとんどです。
総集編的なマルセーユの回は、夜中の再放送の前半部分で眠気によりリタイアと相成りました。なんだか、映像をちょこっと見るだけで思いをはせて、妄想ちっくに夢(思い出)がめぐっています(笑)
genovaさまのサマースクールの思い出は素敵でございますね、夏の陽の長さは羨ましいですね!ヨーロッパ。
そして、”舌”の記憶というのは脳よりも長く残るような気がいたします^^
ゴッホは、アブサンでおかしくなってしまったって、そのアブサンかしら~。45%じゃ、やばいですね。
私は最初のショックが尾を引いて2度と試して見る気にないませんでした。子どものままのようです。
NHKは生放送のために機動力がないのが、難点でしたね。もっと色々見所もあるだろうにちょっと残念な点もありました。猛暑だけは実によく感じることができましたが、、、(--;
私は昔の思い出に浸ることが出来たのでよかったと思っています。(自分勝手です、、)
ステキというより、珍道中でズッコケてばかりいましたが、若い頃の思い出なので、楽しかったことにしています(?)。
アブサンの製造禁止って、危ないお酒だったのでしょうか?その辺の事情はよく知らなくて、命を縮めた人が沢山いたのかもしれませんね。
ピーター・メイルのおかげでプロヴァンスの誰も知らないような村が有名になり、観光客が押し寄せて大変だったようです。日本からのツアーにも入っていましたもの@メネルブ
最近の旭山動物園のようなものだったのでしょうね~(???)