【乞巧奠(きっこうでん)のお供え物~花と器のハーモニー】
2007年 07月 06日
◆「乞巧奠」のはじまり
七月七日の行事の意味が「魔除け」から「技芸の上達を願う」というものに変わると、行事そのものは「乞巧奠(きっこうでん・きこうでん、とも。)」と呼ばれるようになりました。「乞」は乞い願う、「巧」は巧みさ、「奠」は祭事、という意味ですから、「技芸の上達を願う祭事」という、まさしく内容を現した名称といえましょう。ちなみに、日本での「たなばた」という呼び方は、「棚機つ女(たなばたつめ)」、すなわち織り姫の呼び名から来ています。
◆宮中の乞巧奠
平安時代の宮中でも乞巧奠が行われていましたが、その様子については、当日、清涼殿の東庭に長筵(ながむしろ)などを敷き、その上に朱塗の高机を四脚立てて、果物や野菜などのお供えものや琴柱を立てた箏の琴などをのせたという記録が残っています。
↓こちらのHPから一部コピペさせていただきました。<(_ _)>
「七夕・乞巧奠」
何年か前に冷泉家の乞巧奠の様子をNHKで詳しく放送したことがあり、この言葉を聞くとすぐ思い浮かびます。白洲正子さんは叔母さまが冷泉家に縁のおうちに嫁がれたので、冷泉家にも幾度か訪問されたそうで、冷泉家の乞巧奠について書かれたエッセイを読んだことがあります。もちろん戦前のことで形を残すためのものという役目もあったのでしょう。少々怖いような様子が読んだ私には印象に残っています。NHKの画面は綺麗で整い過ぎた感じを受けました。もうたびたび行うことは難しいのでしょうね。
こちらは星のお祭り「七夕」の日のディナーセッティングです。
お料理はのっていなくても、素敵なセッティングなので、心は星空へと飛躍していきます。
こちらは下のお部屋のセッティングです。
パンフの姿が見えないので、詳しい説明ができません。
とにかく「七夕祭り」がテーマだったことは確かです。
と、
思います^^;
場所はこちらです。
昭和初期のアパートメントだったおうちです。
(後でパンフを見つけたら補足致します。)
乞巧奠のお飾りテーブルコーディネイト、素敵ですね〜
大阪の交野市に機物神社(はたものじんじゃ)があって
七夕伝説発祥の地らしいです。
五節句の中でも七夕のお飾りは、笹に短冊だけじゃなくて
こんな素敵なお飾りがあるのだから、もっと普及してほしいですね。
縦置きなのにはちょっと違和感がありますが。
こんにちは~♪
新暦の七夕はどうしても梅雨末期の大雨にぶつかり残念ですね。
ちらっとでも夜空の星が見えると嬉しいのですが、、、。
>旗物神社 へぇ~!そういう神社がちゃんとあるのですね。ということは7月7日が一番のお祭りなのでしょうか?
鎌倉の鶴岡八幡宮もこの季節に訪ねると七夕の笹飾りがあるので、神社のお祭りなのかな?と疑問に思いました。(神社のお祭りのようですね^^;)
>素敵なお飾り いや、本当に、笹飾りばかりが有名ですが、この果物や野菜のお飾りも風流でよろしいですよね。冷泉家の行事に埋もれさせないで是非とも残しておきたいです。
横浜の西洋館の催しもので見るとは思いもよりませんでした。
>縦置き そうだったのですが、最近よく見るようになったら
違和感がなくなって、、、慣れは怖ろしいです。
ナイフやフォークと同じ位置を占めるようになったみたいで、、^^;
こんにちは~♪
このお供え飾りは横浜の山手の西洋館の催し物の1つなのです。
テーマが七夕だったので、古式ゆかしい飾り物を復元(?)されたのでしょうが、
正しいのか、そうでもないのか、それ風なのかはよくわかりません。でも、こういうものがあると見せてもらえただけでも嬉しかったです。
今宵も曇り空のようで、織姫ちゃんと彦星くんが会えるかどうかは微妙でございます。